【エッセイ】久しぶりに自分を責めまくってしまった日
自分を責めても何もいいことはない。誰が何と言おうと自分だけは自分の味方でいたい、自己否定は何よりパフォーマンスを下げる。
それが分かっているのに、数日前、久しぶりに自分を責めまくってしまった。タスクが全然できていない。進んでない。なんでこんなにできないの?
水面下でふくらみ続ける焦り
周りはAIを使いこなして効率化していたり、仕事と子育てを同時にこなしていたりするのに、なぜ私は40歳にもなって自分の経済的自立すらままならないのか。私がスーパーで買えるものは限られている。
今の私はパートナーと二人で小さい会社を作り、事業を軌道に乗せることを一つの目標に仕事をしている。一言で言えば撮影事業だが、やるべきこと・やりたいことは多岐にわたる。
彼がカメラマンで、私はカメラ自体は触らないが、決定している撮影のアシスタント、撮影前後の調整ややり取り、既存顧客との関係構築、個人向け撮影イベントの運営、SNS発信、新規顧客開拓の営業、会計など、挙げてみれば色々とある。新規の営業もSNS発信もほぼ全くできていない。
優先順位をつけて行動するのが苦手で、忍耐強くやりぬく体力もない。
やろうと決めたことができない。そもそも忘れてしまったり、必要以上に時間をかけていたり、結果的に全然できていない。
フォローしている発信者の方の文章や音声で学んでも自分に落とし込んで実行できなかったり、疲れて寝てしまったり、結局公開できないnoteを下書きのまま書いているということもある。
人生の優先順位として基本的には間違っていないと思っている。これは別の記事に書きたいくらい重要な話だけれども、私は今の暮らし、彼と猫との平和な暮らしをとても大切に思っていて、とても豊かな時間を享受できている。
かつて「人の役に立たなければ生きている価値はない」と思い込んでいた私からすると、とんでもない進化を遂げている。
しかし、そんな暮らしを維持するためにも今事業を成長させなければならない。現実的にお金の問題も重要なことで、これを無視することはできない。
徹底的に自分を糾弾したい衝動
というわけで、数日前の夜、「もう全然できない!!」とパートナーに吐露し、というか、当たり散らしたということがあった。
自分を責めたと書いたが、自分で自分を責めるだけではなく、他人を使ってまで自分を責めた。
「早く営業しろよって思ってるんでしょ?」
「いや、思ってないよ。」
当たり散らしていると分かってきたことがいくつかあった。
私がやりたいことができないと思っていること。やれたことがあっても、全然達成感を感じられていない状態にあること。私が一人で抱え込みすぎで、彼に分かってほしいこと、手伝って欲しいことがいろいろあるということ。
実際の彼は「早くやれよ」なんて思っていないし、逆に私がやりたいことをやるということは当然応援してくれているし、仕事のことは焦る必要はないから少しずつやっていこうと思ってくれている。
ということは私自身も分かっているのだけれども、どうしてもその日は衝動的に彼を使って自分を責めたり、彼にとばっちりを食らわせてしまったりしていた。
あれもできない、これもできていない、もう無理。なんでこんなに時間があるのに、全然うまくいかないのか。こんなのはおかしい。私のADHDのせいだ、云々かんぬん。
1、2時間話していて落ち着いてきた。できていること、現実の良い面に目を向けることができてきた。
ここ1週間、そもそも体調が悪かった。マイナ保険証を復活するために区役所に行けたし彼にお金を借りて翌日に病院にも行けた。薬も効いて数日で体調は無事に治ったし、個人的入金があり色々問題があったPCも思い切って新調した。PCのセットアップもしたしCaudcodeも入れた。
新しく開拓はできていないけど既存の仕事に問題はない。彼は区役所や病院やヨドバシカメラにも一緒に買いに行って、この1週間だって穏やかに楽しく暮らしてきた。
収入は全く不安定だしマイナスを少しでもゼロに近づけたい、という現実は変わらないが、取り立て屋に取り立てられているわけでもない。
落ち着いてみれば、私が勝手に不安に取り憑かれていただけ。
話を聞いて相手してくれた彼に感謝して、一緒に近所のスーパーに買い物に出かけた。
ということで一見落着したような日だったが、自分を責めたい衝動から解放された私がどうしても判明させたい点があり、スーパーに向かう道のりでもまだ話を続けていた。
自分をどこまでも責め続けたい欲求とは何か
この感覚、なんなんだっけ?ここまで強い衝動は久しぶりで、今の自分に起きていることがなんなのか気になり、分かるまで追いかけたくなった。
私はもともと、昔は自分を責めがちで、ダメな自分に鉄槌を食らわす、いや実際に物理的に鉄槌を食らわすようなこともしていた。大学受験時代、何か自己否定的な気持ちから帰り道のガードレールに腕を思い切りぶつけてみたり。何かのけじめをつけたくて自分で腕などを少し切ってみたり。今考えれば任侠すぎる女子高生である。
実際にぶつけなくても、自分がバッサリ切られたり殴られたりすることを脳内で考えて少しすっきりするような感覚もあった。
自分を責める。物理的にでも言葉だけでも、これは自傷行為である。
人はなぜ自傷行為をするのか。人それぞれさまざまな背景があるが、私の中では「何かを終わらせる」ことが一番の目的だった。
実際には終わらない。でも、仮想的に「終わらせた」ような気持ちになれるのがポイントなのだ。
なぜ終わらせたいのか。
一生懸命にやっている、しかしもう限界だからである。
「とにかく自分という存在が嫌だ」私は昔はそんな感じだったかもしれない。今は「お金が稼げない」が終わらせたい現実になっている気がする。
どうにもならない、終わらせたい現実をインスタントにどうにかしたい気持ちが溢れた結果、そのどうにもならない気持ちの刃が自分を向いて、自分を責めてしまう。
自分を責めても何もいいことがないということは分かっている。自分を責めたとてお金を稼げるようになれるわけはない。
それでもやってしまうのは、今、その時点が私の限界だということだ。
一度落ち着くこと。自分が調子を取り戻せることをすること。一人で抱え込まず人に相談すること。焦らず現状を書き出し整理すること。
一番大事なのは、「何もできない」どころではない、やりすぎているということを自覚すること。毎日できたことをしっかり認めて、うまくいっていることを感じながら、日々生きること。
達成感がないと感じるのは自分への期待が高いから。つまりこのくらいできるはずだ、と感じるラインが高いというだけのこと。
実際、私は十分よくやっている。できたことがたくさんある。その現実から逃げてはいけない。



あゆみむさん
LIVE楽しかったので、すぐに記事読みました!自身の状況ややるせなさを文章化できる力は流石です🐱
引き続き楽しみ?(人の苦しいところを楽しみといっていいのだろうか???)、もとい、読みたいので配信待ってます!